キングダムの756話(2023年4月27日公開)で、信と謄が韓へ向かう際に韓非子についてお話がありました。
春秋戦国時代では韓非子はかなり重要で、今の令和時代でもなお語り継がれるほどです。
しかし、名前は聞いたことがあるけれど、何をした人なの?って思っている人は多いはず。
今回は、韓非子についてお話ししますので、参考にしてみてください。
※韓非子はキングダムの話と絡めていますのでご了承ください。
韓非子とは?読み方は?
韓非子(韓非)は「かんぴし」と読み、春秋戦国時代の韓の政治家、思想家、著書のことを指します。
韓非子は当時、弱小国であった韓で育ったと言われています。
韓非子は歴史家の司馬遷(しばせん)の史記により生涯を伝えられています。
とくに「老子韓非子列伝第三」や「李斯伝」などが有名です。
韓非子の史実の時代は?
韓非子は紀元前280年あたりから紀元前233年までが生涯とされています。
ちょうど、キングダムでスポットを浴びている時代ですよね。
ちなみに、桓騎将軍が討たれましたがその時期が紀元前233年ですから、韓非子の死期と被るのが気になりますね。
実は、桓騎が討たれたあと、キングダム756話にて信と謄は韓へ向かい韓非子を秦へ招待しようとしていました。
この時、韓非子は47歳です。
韓非子は韓の人間ですが、思想が受け入れられず、むしろ秦の始皇帝、嬴政が大変気に入っていたそうです。
それがきっかけで韓非子は秦へ招待されています。
しかし、外部の人間が秦へやってきて、なかなか受け入れられなかったようで自害したと記されています。
つまり、桓騎が討たれたその年に韓非子が秦へ招待され、やはりその年に自害したというわけです。
もっと細かく言うと、韓非子は著書を記したが才能がありすぎたが故、李斯からねたまれ汚名を着せられ自害させられたんですよね。
李斯と言えばキングダムでは呂不韋傘下の法をつかさどる者、でしたよね。
韓非子の史実にある思想や明言は?
韓非子の思想は、著書の韓非子によって書かれています。
五蠹編、孤憤編、説難編、顕学編などに思想が語られていますが、基本は政治的思考だそうです。
例えば、
古の時代は今とは異なって未開な状態であり、古の聖人の事跡も当時としては素晴らしかったが、今日から見ると大したことはない。したがってそれが今の世の中の政治にそのまま適用できると考えている者(具体的には儒者を指す)は本質を見誤っている。時代は必然的に変遷するのであり、それに合わせて政治も変わるのである。ここには過去から未来へと変化するという直線的な歴史観、さらに古より当今のほうが複雑な社会構成をしているという認識、進歩史的な歴史観を見ることができる。この思想は荀子の「後王」思想を継承しているもので、古の「先王」の時代と「後王」の時代は異なるものであるから、政治も異なるべきという考えを述べているものを踏襲していると見られる。
引用:Wikipedia
要するに、時代に合った政策をするべきであって、時代が変わっても同じことを続けるのは間違いだと唱えています。
また、信賞必罰という言葉も韓非子によるものだと言われています。
これは、功績者には賞を与え罪を犯した者には罰を与えるというものです。
今では当たり前のことですが、紀元前の話になると当たり前ではなかったのかもしれません。
まとめ
韓非子は紀元前の政治家や思想家で、キングダムにもでてくる重要な人物です。
さまざまな思想を残し、令和の今でも語り継がれているすごい人です。
しかし、桓騎が討たれた同年に韓非子も自害しているため、キングダムではそう長い出演回数ではないような気がしています。
もし、キングダムで韓非子のことが気になったのであれば、ぜひ参考にしてみてくださいね。